だれでもよかった。

 同世代が起こす、猟奇的な事件の数々に色々と思う。格差社会がどうだ、派遣社員がどうだとか論じる向きもあるが、「代わりならいくらでもいる」感は、別に正社員だって同じ事。エース級のピッチャーだって、調子悪けりゃ代えられる。結果出せなきゃ即解雇だ。実力主義の世界では、今も昔も変わらない。とは言え、その考えがあらゆる人々にまで窮屈に押し付けられているのが今の社会だろうが、自分の境遇を社会のせいにしてはあまりに無責任だ。加害者も、特にお金に困ってた様子もなさそうだし、お金の問題が原因でもないだろう。
 結局のところ、加害者は社会で誰とも繋がれなくなっても、接点を求めてる。掲示板への書き込み然り、報道陣に饒舌に話す姿然り。考え様によっては友達だって「代わりならいくらでもいる」のだし。となると、例えば自分の子供にとっての父親は、僕自身だけで「代わりはいない」わけだし、自分の両親にとっての息子も僕自身でしかない。結局最後は、社会の最小単位である家族の繋がりが大切なんじゃないかと、自分自身の存在を確かめて、安心したりする。自分自身に子供がいると考えてしまうのだが、こういう子供たちを育てないためにも、親として、社会としてどうしたらいいのだろうか、とも。